|
ブログパーツ
検索
リンク
最新の記事
以前の記事
2012年 03月
2012年 02月 2012年 01月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2010年 04月 2010年 02月 2010年 01月 最新のコメント
最新のトラックバック
カテゴリ
タグ
おすすめキーワード(PR)
ファン
|
2012年 03月 25日
あどけない話
智恵子は東京に空が無いといふ、 ほんとの空が見たいといふ。 私は驚いて空を見る。 桜若葉の間に在るのは、 切つても切れない むかしなじみのきれいな空だ。 どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。 智恵子は遠くを見ながら言ふ。 阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。 あどけない空の話である。 高村光太郎の智恵子抄の一節である 光太郎と智恵子は染井の墓地に眠る。 ![]() そしてそのすぐそばで見つけた「ソラあり」の看板。 電話すればソラが手に入るかも。
2012年 02月 19日
「建築知識」の建築家菊竹清訓氏の追悼号への寄稿文を転載します
![]() 私は、菊竹清訓建築設計事務所に延べ15年在籍した。後半の3年間はアメリカ留学を許可して頂いた。「か」「かた」「かたち」と展開される菊竹方法論と、空間を「Form」「Shape」とからなるとするルイ カーンの視点との相関性に関心があったことに加え、その弟子でもあるロバート ヴェンチューリの、近代建築美学を根底から覆す建築観に惹かれての渡米であった。菊竹建築をカーンとの対比で展望するに良き機会であった。 カーンの作品はアメリカにあるものは大半を足で回った。中でもペンシルヴァニア大学にあるカーンの出世作リチャーズ メディカルは頻繁に訪問した。カーンの『建築は「マスタースペス」「サーバントスペース」からなる』という認識から生まれた傑作である。一方、菊竹先生も方法論の根底に「目的空間」「支持空間」という考え方がある。それは幻の話題作「京都国際会議場」コンペ案等初期代表作の原型をなす視点である。その発想の原点は主空間を宙に浮かせた「スカイハウス」の体験から得られたと聞く。概念的には両者は近似していると言っても良い。が、作られた建築の質は全くと言って良いほど異なる。カーンの空間が硬質で「固体的」であるに対し菊竹氏の空間は「液体的」とも言える程しなやかな印象を与える。前者が、領域を明確に規定するリジッドな構築的空間を基本としているに対し、後者は柔軟な領域規定の基、空間が流れるような可塑性を備えている。私は、初期の秀作「浅川テラスハウス」のスラブと壁からなる端正且つ軽快なプロポーションに魅せられた一人だ。 菊竹先生のこのようなしなやかさに対する感性は、氏の説く「メダボリズム」に色濃く反映されていると思われる。先生の感性と評論家川添登氏の理性が「メダボリズム」なって結晶したといっても良い。普遍性,恒久性を求めた石造文化の西欧建築に対し、木造建築の柔軟性,適応性を基本に時間超えた日本建築の探求から「メダボリズム」は生まれたものと私は考えている。伊勢神宮の式年造営の如く「造り替え」、「取り替え」を行いながら、建築空間そのものをしなやかに継承し存続させて行くと言う「メダボリズム」の建築観が、西欧近代建築のボキャブラリーを活用しながらも日本建築の独自性を明らかにし、新たな方向性を示す建築論として、第二次大戦後の混乱期にある世界へ向けて発信された意義は大きい。 個人の「感性」は継承不可能だが、「感性」の集積としての「思想」は継承可能だ。建築の先行きが不透明な昨今、建築家菊竹清訓の残した「思想―しなやかな建築」をどのように継承するかが、大きな課題だ。 2012年 02月 12日
面白いものを見つけた。小さな稲荷の社だ。 東京の北部王子の近くに在る。王子の稲荷は広重の「名所江戸百景」にも登場したり、落語「王子の狐」の舞台となるなど、昔から広く親しまれている稲荷であるが、私が見つけたのは、その「榎木稲荷」の近くにあるも、まちの中に埋没するかのような由緒のはっきりしない小さな社である。
![]() コンクリートマンションと店舗の狭間に残された間口1間半ほどの三角形の土地がその「稲荷」の敷地である。「稲荷」には鳥居は付きものであり、京都の伏見稲荷では全長数キロに渡って鳥居が連なり、トンネル状の不思議な参道を形作っていることはよく知られている。間口に並ぶ旗には伏見稲荷の文字が見えるからその分社のようだ。京都伏見の本社とは比べものにならないがここにも鳥居がある。僅かに2基。だがその構成は絶妙だ。本社にもひけを取らぬ空間の構えである。 三角の敷地の奥に据えられた祠とその前に設けられた大小僅か2基の鳥居で、見事にパースペクティヴな構成が生み出されている。小さな空間に仕掛けられた遠近法構成はしっかりと視覚的奥行きを造り出している。匿名の設計者に脱帽だ。 かなり旧作となるが、あえて三角形の土地を選んで設計した住宅がある。三角の土地は四角な土地に比べれば安く入手出来ると言う理由もあるが、三角形の敷地の魅力に惹かれたからだ。非平行な輪郭線が造るパースペクティヴな骨格を活用して奥行き感を演出して狭い土地に広がり感を造り出した。新建築社「住宅特集」でも取り上がられた住宅である。20年程前のことだ。 ![]() 昨年、同じ建て主から新たなご自宅の依頼があった。一生に1度の住宅新築の機会がある人ですら希なのに、住宅の設計でリピーターがいるとは思いもしなかった。旧宅は娘家族に譲ってご自分の第三の家を新築されるというのである。今度は比較的ゆとりのある土地であるので、平屋に近い形で計画中だ。空間を区切らず半楕円の中庭を取り込んで、視覚的連続性と見え隠れ効果を基本とした構成で7月竣工予定だが、詳しくは別報で。出来上がってのお楽しみだ。 2012年 01月 25日
「海上集落」――追補
昨日「海上集落」のブロクアップを終えて新聞を見たところ、その考えを援護すると思われる記事を見つけた。それがこのコピーだ。(2012年1月23日付け--日本経済新聞) ![]() 津波襲来時でもほとんど水をかぶらないバージ上の構造体である。非常用電源の保管場所やヘリコプターの駐機場に使え、およそ50万円/㎡程度の工費だという。 既に構造体の開発は進行中だ。これを人が住める環境に進化させる「集落化」計画へ発展させることだ。菊竹先生への追悼としても具体化へ連なるような検討が出来ないか模索してみたい。 2012年 01月 23日
3.11と「海上集落」―――菊竹先生を悼む
昨年暮れに菊竹清訓氏が亡くなられた。83才であった。我々にしてみると急逝という印象が強いが,年齢を聞けば天寿を全うされてと言ってもおかしくない。色々な分野に様々な提案をされ続けてこられた。その偉業についてはそれぞれの方がそれぞれの分野で語られることと思う。 3.11東日本大震災に関して菊竹先生も色々な想いをお持ちであったと思う。今となってはその想いをお聞きすることも出来ない。ふと思う。復興に新たな『海上都市』構想を考えておられたのではなかろうか。海上都市に対する構想を具体的に計画化され、さらには沖縄海洋博のアクアポリスとして実現されたプロセスと貴重なデータをお持ちだった菊竹先生なしでは語れぬテーマではなかろうか。 3.11からの復興計画に欠かせぬ対策は、マグニチュード8.0超級に耐える耐震構造と、10mを優に越す巨大津波対策である。被害を被った沿岸の集落では高台への集団移住が検討されているところが多いと聞く。過去の大津波災害で集団移住を実施した例もありながら、のど元過ぎる頃には平地へ舞い戻って来る人々が増え、結局再度被害を受けると言う事態になったところもあると言う。特に漁業従事者は海から離れては暮らせないと言われる。 菊竹先生の知恵を借りるなら、私は「海上集落」という考え方がこの課題を解いてくれるのではないかと思う。 ここで言う『海上集落』とは菊竹『海上都市』のバリエーションの一つ。海上に人工島を浮遊構造で作りそこに漁業を核に集落と生産拠点を内包するものだ。浮遊体は原理的に地震と津波に強い。基本的に免震構造である。アンカーをコントロールすれば大津波も乗り越えられるのではと思う。場合によっては人口島ごとそっくり曳航し避難することも可能である。『海上集落』の有効性は3.11からの復興対策としてのみではない。近く予想されている東海、東南海、南海連動型大震災対策にもなろう。巨大なプレートがひしめき合い、断層が縦横に走る日本の陸地から離れて浮遊体を主要構造とした人工島による国土作りは是非とも検討してみたい課題の一つである。「自然エネルギー活用」「クローズドシステム」「コンパクトシティ」「コミュニティ形成」「グローカリティ」など今後解き明かさねばならぬ課題解決を包含した環境創造に貢献するものと思われる。 菊竹「海上都市」構想を一建築家のプロジェクトに留めるべきではない。それを一部でも継承し、論議を広げて行くことは残された我々に課せられた課題かも知れない。 合掌 ![]()
|